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大津百町の歴史

大津百町の歴史

大津百町の歴史イメージ

大津は東海道や北国街道など、いくつもの主要街道が通り、交通の要衝でした。宿場町と琵琶湖の物資が集散する港町の機能を併せ持った大津宿は、江戸・日本橋から京都・三条大橋を結ぶ東海道五十三次の53番目の宿場で、全ての宿場の中でも最大の人口を有し、大変賑わいました。

17世紀末、産業・貨幣経済が発展し、町人による都市生活が向上した元禄の時代、大津には百カ町があり、18,000人もの人々が住む大都市でした。豪華で高い文化水準であった町衆文化を伝える『大津祭』が発展したのもこの時期です。京都から大津に入ってくる東海道は「八丁通り」と呼ばれ、大名の宿泊施設である本陣や庶民の宿である旅籠屋が並んでいました。札の辻で直角に曲がった東海道は「京町通り」と呼ばれ問屋が並び、一筋浜側の「中町通り」は日常品小売店としての商店街、もう一つ浜側の「浜通り」には物資を一時貯蔵する蔵屋敷が並んでいました。

歌川広重の浮世絵『東海道五十三次・大津宿』にも牛車が描かれているように、大津に集積した物資は牛車に積み替えて運ばれていました。京都へ抜ける東海道では、牛車の通る車道と旅人が通る歩道が区別され、車道には『車石(くるまいし)』という牛車のわだち跡が残る石が敷かれていました。

江戸時代、様々な物と人が行き交う大津の賑わい振りは、『大津百町』と表現されました。